カメルーン旅行記

[2002年5月] 初めて一人で海外旅行 No1。ドキドキでローマへ出発(by vegemaruさん)

カメルーン
英語はおろか日本語(標準語)すらおぼつかない。そんな超貧弱な語学力でも一人旅が楽しめる場所としてローマを選びました。
エアー&ホテルのフリーのツアーですが、飛行機を降りるまで日本語が通じることを前提に日程を組むなど色々あがいた分、記憶に残る旅行になりました。

イタリア語は4月からのNHK教育「イタリア語講座」で2ヶ月、ロベルト・デニー二の映画を3本見ただけ。出発前までコーヒー以外は何も飲み食いできないのではないかと考えていた程です。

【旅行時期】2002/05/20~2002/05/25
【エリア】ローマ
【テーマ】
【投稿者】vegemaru

北アルプス表銀座コース 山へ行こう―燕岳(by marukunさん)

カメルーン


  • http://plaza.rakuten.co.jp/hunkorogashi/



  • ●そこにギャルもいるから登山●
    馬脚なら誰にも負けません。
    アルプス、東北の山々踏破した山数しれず。
    でも、最近はロープウェイで昇れる山なんかが好きかな。

     社会人になってからだが、何かに目覚めたかのように、アルプスへ出かけた。
    20キロものリュックに旧式のテントを担いで北アルプスを縦横無人に縦走してきた。
    ある登山サークルにも、所属している。
    なに、別に「そこに山があるから・・」ではない。
    学生時代は、アルプス方面といえば、清川、清瀬、軽井沢、白馬など「麓でのお合宿♪」が恒例であったアタシには、自分でも驚き、桃の木小屋だ(爆
    しかし・・・・・案外、、潜在的な目的意識は同じだったのかもしれない(爆

    今回の記録は、今でも鮮明に思い起こす。
    いえ、今日の雨と、靭帯痛めた右足が自然と彷彿させてくれるのです(苦笑
    当時、夜行のオレンジフェリーででかけたが、前日、地元の山へ入り、アメゴの稚魚放流しているときに崖に足を滑らせ、捻挫していた。
    返す返す、今となっては無謀なことをしでかしたものだ。
    今日の日記を書き終え、当時をなつかしみ家族と談笑してると、誰彼となく、
    「同じような状態で、おととしカメルーン一人で行ったやん!」とつっこまれた・・・・。


    背後で天使が微笑むとき、

    そのまた背後で、悪魔がニッコリ微笑んでいるものなんである―――。

    白馬の頂上で日焼けして、、、で肌の皮が何重もむけ

    槍岳では下山後の上高地散策で足の裏の皮がむけ、、、

    剣山でひざが割れ、

    鳥海山では靴擦れで指を痛め、、、

    駒が岳ではほとんどロープウェイなのに
    頭痛がした、、、、、


    燕岳ではいかに@@



    トウビィコンテニュウ


    【旅行時期】2004/09/~2004/09/
    【エリア】長野県
    【テーマ】登山・ハイキング
    【投稿者】marukun

    ナイジェリアの旅  ナイジェリア南部―イボ族 源流(by marukunさん)

    カメルーン

  • http://plaza.rakuten.co.jp/hunkorogashi/



  • 1961年、イギリス領ナイジェリアの帰属をめぐり国民投票が実施され、南部ナイジャリアはカメルーンへ。
    北部ナイジャリアはそのままナイジャリアへの帰属が決まった。
     1994年、隣国ナイジェリア国軍が石油の豊富な国境近く南部バカシ半島に侵攻し、両国の間に領土紛争が勃発。
    政府はハーグ国際司法裁判所に訴え、両国は交渉に入るもナイジャリアによる継続的な攻撃は止んでいない。
    そのナイジェリアであるが、今回の旅も一騒動であった。
    ―――「でも、今回の旅行前な、ケニアの爆破事件とかあったやん?」
    「ああ、あれには笑わしてもらった。
    もちろん、事件のことじゃないよ。実は前から『ここへ行きたい』と思った国や地域が必ずいうてええほど「政情不安定」になるんや。91年はトルコ、思うたら湾岸戦争、それでペルー行くことにしたら内戦や。92年のモロッコは西サハラと戦争、アルジェリアと交戦。
    93年の嫁ハンとの新婚旅行は出発当日、日本人が強盗に殺されて渡航延期勧告や。なかなか行けんかったイエメンも内戦に。スーダン行きたい思うたら内戦やらテロやら。ザイールも内戦でアカン。今回のケニアも間一髪やろ?ワシ・・・・・・・嵐を呼ぶ男やん・・・・・・・」『 ケニアの旅― ONCE IN A LIFETIME まるくんの旅は青空―より 』
    しかも今回は中央アフリカ、コンゴ民主共和国において、出国直前にこんなニュースが飛び込んできた。
    【2001年1月18日。コンゴ大統領カビラ暗殺?アフリカ大戦、再び混迷へ――――。】
    ああ・・・・・・・・返す返す、嵐を呼ぶ男やん(涙)。
     ジュリアンが飛ばすバスは、ゴム林やバナナ林と緑豊かな森林地帯をしだいに高度を上げながらひた走り、やがて日没になった。
     そして、真っ暗闇のなかバスはある一定期間走行すると必ず停車する。
    軍の検問があるのだ。ナイジェリアとの国境近くを北上しているのだから、自然と緊張してしまう。
     ガソリンスタンドで給油とトイレ休憩をはさみ、太古のままのような漆黒の森の中を走りながら、アタシは日本では観れもしないビデオに上機嫌でうたた寝をはじめたようだ。
    リンガラがあれば、いつだって生きてゆける、旅してゆける――――。


    【旅行時期】2001/02/~2001/02/
    【エリア】ナイジェリア
    【テーマ】大自然・動物
    【投稿者】marukun

    信州の旅  山へ行こう ― 大天井岳(by marukunさん)

    カメルーン

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  • ●そこにギャルもいるから登山●
    馬脚なら誰にも負けません。
    アルプス、東北の山々踏破した山数しれず。
    でも、最近はロープウェイで昇れる山なんかが好きかな。

     社会人になってからだが、何かに目覚めたかのように、アルプスへ出かけた。
    20キロものリュックに旧式のテントを担いで北アルプスを縦横無人に縦走してきた。
    ある登山サークルにも、所属している。
    なに、別に「そこに山があるから・・」ではない。
    学生時代は、アルプス方面といえば、清川、清瀬、軽井沢、白馬など「麓でのお合宿♪」が恒例であったアタシには、自分でも驚き、桃の木小屋だ(爆
    しかし・・・・・案外、、潜在的な目的意識は同じだったのかもしれない(爆

    今回の記録は、今でも鮮明に思い起こす。
    いえ、今日の雨と、靭帯痛めた右足が自然と彷彿させてくれるのです(苦笑
    当時、夜行のオレンジフェリーででかけたが、前日、地元の山へ入り、アメゴの稚魚放流しているときに崖に足を滑らせ、捻挫していた。
    返す返す、今となっては無謀なことをしでかしたものだ。
    今日の日記を書き終え、当時をなつかしみ家族と談笑してると、誰彼となく、
    「同じような状態で、おととしカメルーン一人で行ったやん!」とつっこまれた・・・・。


    背後で天使が微笑むとき、

    そのまた背後で、悪魔がニッコリ微笑んでいるものなんである―――。

    白馬の頂上で日焼けして、、、で肌の皮が何重もむけ

    槍岳では下山後の上高地散策で足の裏の皮がむけ、、、

    剣山でひざが割れ、

    鳥海山では靴擦れで指を痛め、、、

    駒が岳ではほとんどロープウェイなのに
    頭痛がした、、、、、



    【旅行時期】2004/09/~2004/09/
    【エリア】穂高・安曇野
    【テーマ】登山・ハイキング
    【投稿者】marukun

    アフリカ  ジャングルの旅 バフサム − 仮面ダンス (by marukunさん)

    カメルーン
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  • ―― 幻の仮面ダンス さらばさらばバロンビ湖 ――



     バフサムのホテルを慌しく発ち、南下してバンジュン村へ向かう。
    バンジュン村はバフサム同様バミレケ族の村である。
    栗本英世の小論文―アフリカの民族と民族紛争(旅行人)―にあるとおり本来なら、部族という文化差別的言葉ではなく、世界に共通した言葉としての民族集団をさし示すので、〜人(バミレケ人)であるが、これまで使ってきた―族―を使わせてもらう。
     バフサムを発ち、フンバンへの通り以上に風景は豊かになる。
    通りはマーケットで賑わいひとびと行き交う。そして赤茶色の大地の丘に建つ家々、空は雲が多くなってきたが、それでも青い。
    ひとびとの表情も温和で明るいバフサムの郊外になると、路上にバナナなどの果物、水、日常品などを売るキオスクがあり、ビデオを撮っていたので気づいたのか「これを買え」と叱られた。
    ハリネズミや鹿(アンテロープ?)の肉を干して売っていたりもした。
    道沿いで売られているものはほかにヤギやブタだ。てっきり放牧かと思いきや、どうも食用で生きたまま売り買いされるらしい。
    肉といえば、カメルーンは旧ザイールなど他の中央アフリカと同じく猿の開きの燻製が食用として重宝されているはずなのだが、近年ヨーロッパの動物保護団体などがうるさいらしく、政府が何を勘違いしているのか公共の市場からは姿を消しつつあるのだという。
    バムンの村からバミレケの住む村に変わってきたとうことは、車窓の自然からは伺えないが、人工的なもので理解できる。
    村があるごとにトタンで銀色に輝くとんがり帽子のような三角屋根の家がある。
    これはバミレケ族のうち王族や貴族が住む家だそうである。

    【旅行時期】2006/02/~2006/02/
    【エリア】その他の都市
    【テーマ】プチ留学・カルチャー体験
    【投稿者】marukun